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化学系の転職など。イロハ

どーなってんだ化学系、こんなはずじゃ…と思ったら見て

カオナシと千尋を通して伝えたかったことは。

目が覚めるまで約6分

 

千と千尋の神隠しについて

考察するよ。

 

今回は化学や転職に関係ない話です。

 

宮崎駿監督は

どんな気持ちでこの映画を作り上げたんだろね。

 

そういえば宮崎駿監督は最近現役復帰宣言したね。

www.j-cast.com

楽しみ。

 

目次

 

カオナシ

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カオナシ千と千尋の神隠しにおいて、

重要な立ち位置となるキャラクターでしょう。

 

最初は橋の上で千尋を眺めるだけの不気味なやつである。

そういえば重要な出来事は全て水の上な気がする。

人生で大切なことは水の上に成り立っているということかな。

 

カオナシが油屋に

 

とある雨の日、カオナシ千尋に招かれて油屋に入る。

そこでカオナシは金を振る舞い、風呂に浸かりながら大量の食事をする。

皆が寝ている時間を狙い、カオナシが放出した金を探す青蛙。

カオナシがその背後にいる事も知らずに。

青蛙はカオナシに気付いて焦るが、大量の金をカオナシに見せつけられ、

 

「金だ!金だ!」

 

と反応し、つい金を受け取ってしまう。

そこを狙い、カオナシが間髪入れずに青蛙を飲み込むのである。

他の油屋の従業員も金を欲しがり、

カオナシに近づいたが故に飲み込まれてしまう。

 

カオナシの正体

 

このように文字にしてみるとカオナシ

何者なのか感じることができるのではないか。

カオナシは誰もが持つ「欲そのもの」なのではないかなって。

 

うん、みんな欲に飲まれたんじゃないか。

 

カオナシが欲そのものだと考えた根拠もある。

千尋に帰る場所を聞かれたシーン。

 

千尋「あなたはどこからきたの?私はすぐいかなきゃならないとこがあるの。」

カオナシ「うう・・・」

 

と縮こまったのは欲そのものには実態はないからだと思う。

千尋カオナシに食われなかった。と言うのは

大切なもののため、必要以上にものを求めない千尋

欲には飲まれなかったという事かな。

これは主題歌‘いつも何度でも’の歌詞を読んでも分かる気がする。

「♪輝くものはいつもここに 私の中に見つけられたから」

 

真っ当な子供だよね。

ここはきっと世間の小学1~3年生ぐらいの子供が親に対して

 

「どうして千尋カオナシに食べられなかったの?」

 

と、聞くことを想定してのことなのだろうか。

親は恐らくここで

 

千尋はお金よりも大事なものがあるって分かったからだよ」

 

と、答えるのが粋なのかな…。

 

河の神の団子

 

欲にまみれたものを食べて肥大化したカオナシ

千尋が持つ河の神からの贈り物である団子を食べる事により、

元の姿にまで戻される。

この団子は目に見えない悪いものを浄化する作用がある。

というのもハクに掛けられた死の魔法を解いたことからも明らか。

この団子は千尋にとって親を助けるための大事なものだったはず。

なぜ手放したのか。

 

やはり自分のせいでカオナシが油屋をこれ以上荒らすのは

湯婆婆に申し訳ないと考えてのことだろう。

団子を失ったことが危険な「沼の底」へ行く動機になったのかもしれない。

 

ここで、宮崎駿監督は孤独な環境で、

子供に考えさせることの重要性を訴えているんだと思う。

親の言いなりになったが故にダメ人間になったというような人も少なからずいるからね。

 

銭婆の居る沼の底

 

元の姿に戻ったカオナシは何故かおとなしく、

銭婆の元へ行く千尋にもついてくる。

千尋が何を欲しがるのか知りたかったのだろうか。

カオナシは欲そのものなので、

人の心から消えることはないという意味もあるのかな。

 

千尋は銭婆の元へ行くが、結局真実は分からなかった。

銭婆は公平な人で、

物を盗めば怒り、謝れば許す。

しかも

魔法で作ったものは何にもならないとつぶやいたり、

千尋を良い名前と褒めたりしている。

古き良きおばあちゃんである。

恐らく人生の審判のような感じの役割なんだろな。

神様か。

 

白竜が迎えに

 

銭婆の家へ白竜が現れ、千尋と白竜は油屋へ向かう。

油屋へ飛び立つ際、銭婆はカオナシに対して

 

「おまえはここにいな、あたしの手助けをしておくれ」

 

と言う。

カオナシ(欲)は銭婆(おばあちゃん)が面倒みる?

なんか違う。

現実的に考えて、白竜の背にカオナシが乗ってたら

絵的に違和感ハンパないのが大きいような…。

とりあえずもうカオナシは用ナシってことで。

 

ハクの名前

 

白竜に乗った千尋は河に落ちた時の記憶を辿ることで、

琥珀というハクの名前をついに呼び戻す。

ハクの名前はニギハヤミ コハクヌシ。

恐らく川の神様なんだろね。

油屋って元々神様の休む場所らしいからね。

確か、もののけ姫のアシタカも神様だったとか言われているし。

また、このシーンでは大切なものはもう既にある。

あなたの中にあるんだよ。と訴えている重要な所。

 

千尋の両親は

 

油屋に戻った千尋はハクのおかげで

両親を取り戻すチャンスを得る。

集めた豚の中に両親がいるか湯婆婆に問われ、

千尋はその中に両親がいない事を見破る。

 

ここで

何故千尋は両親がいないことが分かったのか?

という疑問が残る。

 

これはホントに分からない。

そもそも両親がいないという選択肢あったのか?

という感じ。なので、湯婆婆が

 

「いない!それがお前の答えかい?」

 

と返事をした時点でなんか当たりな気もする。

両親がいるなら、

 

「いないなんて選択肢はないよ!」

 

とか湯婆婆なら言いそうな気も。

背理法で考えるか。

 

もし千尋が間違えた場合、

両親が戻ってこない上に油屋の生活を

続けなければならない。

はぁ、どう考えても展開が面白くない。

 

というわけで千尋は最後の試練に打ち勝って、

無事に現実世界へと戻る。

という一種のオチとして設けられたものと考えるのが妥当なのかね。

 

オクサレ様とハク

 

話は変わりますが、

千と千尋には人間がいかに河を壊しているのかを

訴えているシーンが数か所あるのも特徴。

分かりやすいのはオクサレ様の入浴シーン。

オクサレ様が吐き出すゴミのインパクトが大きくて、

誰もが気分悪くなると思われる描写。

しかしその後に河の神が現れることで、

それが河にあるゴミだったという事にはっとします。

ゴミの中には自転車もあり、

なんとなく私たちの頭に刷り込まれているような

風景に、改めて嫌悪感を抱かせてくれます。

 

ハクは川で千尋を助けたとありますが、

その川は埋め立て地となり、

川の上にマンションが出来てしまったと千尋が説明しています。

やはり宮崎駿監督は人間が河を壊しているという事を訴えたかったのだなぁと感じる。

 

最後に千尋とハクが別れるシーンでは

ハクは湯婆婆と話をつけてから元の世界に戻ると言いましたが、

恐らくハクは川の神様なので、

もう戻る場所は無いのでしょう。

実は釜爺が傷ついたハクを見て、

 

「―もう帰る所はないと、とうとう湯婆婆の弟子になっちまった。」

 

と言っていたシーンもあります。

千尋がトンネルの向こうへ帰る時、

 

「水がない…」

 

と言っていたのも私には違う意味に聞こえました。

 

まとめ

 

全体を通して言いたいのは

・過ぎた欲は身を滅ぼす

・子供の心の成長にはある程度頼る人がいない状況が必要

・河を壊す人間のエゴに気付いてほしい

・ハクが囲碁を打てるのかは不明

ということだったのでしょうか。